強迫性障害・神経症からの脱出法、雑想念止め
強迫・不安神経症で苦しんでいる人(特に、いろいろ試みたけど、重度過ぎて効果がなかったという方)に、同じ経験をした私の療法をお伝えしたい。それは対症的療法であるに限らず、強迫・不安神経症に陥りやすい性格である強度の神経質そのものをも治してしまうのです。
強度神経質・神経症は、端的に言って、普通の人が考えもせず過ごしているような想い(思い)がむやみやたらと想い(思い)巡ることにより、そのような性格・症状になるのです。つまるところ、想い(思い)巡ることがやめられればいいのです。すなわち、絶えず頭を駆け巡っている雑念(むしろ「雑想念」とよびたい。強迫観念、不安観念も含めて。)をストップしていられればいいのです。
では、ストップの原理、方法を述べます。
まず、雑念(雑想念)というのは、‘自然に’ ‘ひとりでに’湧き起こっているようにみえて、実のところ、考えている(意思作用ないし準意思作用)ものであるということです(にわかにはとても頷き難いでしょうが)。
そして、雑念(雑想念)は、なんのきっかけもなく湧き起っているのではなく、目に映ったり、聴こえたり、感じたりしていることで意にとめたのをきっかけに想い巡らす。そして、これを次々にとめどなく行っているものです。(決してなんのきっかけもなくフッと生じているのではなく、必ず、何らかのきっかけがある。連想を逆にたどってみればわかります。)。
それゆえ、雑想念を止める(生じさせない)には、いろいろ次々に目に映ったり、見たり、聴こえたり、感じたりしていても、何も意識しない(意にとめない、考えない、考え始めない)ようにする。雑想念は考え始めようとするときに考え始めなければ(きっかけを全部つみとってしまえば)全く(実際的には、ほとんど)止めて(生じさせないで)いられます。
神経症は、いろいろなことを考えるのをやめれば(不安観念・強迫観念を含め、雑想念を止めていれば)、消えていきます。また、これを長い間続けていれば、’自然にわく’雑念(雑想念)は少なくなって普通一般になれます。
なお、当方法の理解実践は、易しいとは言えませんので、どうしても難しいという場合や、本格的に実践法が修得できるようになるまでは、”簡易な方法”が最後のほうの追記にありますのでお試しください。
また、言葉についてですが、「神経症」というより「雑想念過多症」のほうがよいと思っています(同じく、強度の神経質はいわば「雑想念過多質」です。)。
以上です。
説明をしていきます。
私もかつて、不眠症ほかの神経症にもんどりうって苦悩した者です。書物を読んだりいろいろしましたが、余りの重度の私には、効果がありませんでした。先は死しかない、発狂するんじゃないかの境涯にいて、止めどなく沸き生じ情動の嵐を呼ぶ、雑念、雑空想、強迫観念を止めることはできないかと考え続けました。
((他の悩んでいる方々は、’頭の中で繰り広がる強迫的な観念が起きさえしなければ’と思っても、なぜ、それを、止めてみようとすることに、真正面から必死に取り組もうとしないのか、不思議です。たぶん、幼いころから雑想念が頭の中を巡り回っているので、巡り回っているのが自然であって、それが、強迫的状況になっていることが問題だととらえてしまうのでしょうか。このような雑想念、強迫的観念は、'考えて’いるものじゃない・意思して考えているものじゃない・自然に精神細胞が動き生じるものだ、だから、想い巡るのを止めよう・意図的に止めようなんてできるはずがないと思い込んでしまっているのでしょうか。想い巡りのスピードの速さゆえとても、考えているとは、意が、意思が働いているとは想像できないというのでしょうか。また、通常人は想いの量が、自分に較べ本当は俄然少ないのに、多少の違いと思ってしまっているからでしょうか。実は私もはじめは以上のように感じていたのですが、止めることができなければ、死発狂という思いに衝かれました。))
そして、止める方法を見出せました。
その要は、雑念・雑想念・強迫観念、それは、(意図的と表現したらそれは違いますが)意思的に考えているものだということ(あくまでも、考えようとする意思が(意が)はたらいているということ)、五感に触れていることで意にとめた(意識した)ことをきっかけに想い巡らすものだということ、きっかけなく湧き起ることは全くないこと、いろいろ五感に触れていても、想い巡らし(考え巡らし)始めることがなければ、生じさせないでいられること、です。
図的に示してみます。
[雑想念の成り立ち]
① 現象.事象(ものごと) 視・聴・触・嗅・味覚 五感に触れている(五官が知覚している)
↓ 五感が知覚しているものの中で何かを
② (考えはじめのきっかけをつかもうとする意の働きで) 意にとめる (意識する) ・・・ α
↓
③ αをきっかけとして考えはじめる ・・・ β
↓
④ 想の連ね 想 → 想 → 想
γ γ
[雑想念を生じさせないためには]
○ αしない (non α)
意思のしかた:'(考えはじめのきっかけにしようとの) 意をもたない’
○ βしない (non β)
意思のしかた:'考えない'
'(考えはじめようと)意識しない'
[雑想念を生じさせない方法]
A: non αに努める
B: αがおきてしまっても nonβに努める
(五感に触れてくること(五感が知覚していること)を次々αしても、その度に'考えない’ '考えない’・・・と続ける。)
non αは、はじめはなかなかうまくいかない。
それで、「αは生じてもnon β」に努める。
そして、non βに努めていくうちにnon αもできるようになる。
また、長い間nonβに努めていくと、βが少なくなると同時にαも少なくなる。
実践法を改めて解説します。
1.たった今の瞬間まで続いていた連想を逆にたどってみて、何がきかっけになっていたか認識し、
2.これを何度も行って必ずきっかけのあることを認識し、
---五感を通じてくるものごと(現象・事象)を考え始めのきっかけとしてつかもう・とらまえようとすることにも、そのきっかけから考え始めようとすることにも、'意’が働いているので---
3.何かが五感を通じ意(意識)にとまっても(α)、なにも考えない(考え始めない)ようにする(B)。これが要点です。
<詳細に言うと>
◎何かが五感を通じ意にとまりそうになってもその何かを意にとめようとしない(A)、
and、
(意にとめてしまっても)とまったことをきっかけとして何か考えよう(考え始めよう)としない)(B)。
更に詳しく述べると
◎何かが五感を通じ意(考え始めのきっかけをなにかつかもう・とろうとする意)にとまりそうになってもその何かを意にとめようとの意(意思)をもたない(考え始めのきっかけにしようとの意識をもたない)(A)、
と同時に(とともに)、
(意にとめてしまった状態になっても)意にとまったことをきっかけとして何か考えよう(考え始めよう)との意(意思)をもたない)(B)。
4.ものごとはいろいろ連続的に五感を通じ意にとまってくる(α,α,α…)。とまってくるたびに'考えない''考えない''考えない'と続ける(nonβ, non β, non β…)。 (non α, non α…はなかなかできないながらも。) すると、
5.雑念、強迫観念はおこさないでいられる。
6.止めきれずに、湧かしてしまっている連想を途中で止めるには、想に継ぐ想を考えないようにする(non γ)。
(想→想→想では、想う→想う→想うの意が連なっている。前の想が後の想のきっかけになっている。止めようと思った瞬間の目下の想いから次を考えない(次を考える意をやめる)、これで止まる。)
7.想いは、直に、情動の念(怒り、不安、悲の念(‘ムカッ’念、‘不安’念、‘悲’念)etc.)を誘発します。情動の念も「考えない」の実践で生じさせないでいられます。 ( 参照:詳記1 )
8. このような意識実践をはじめたときから神経症はほぼ消失します。
パニック障害も消失しますが、一瞬の強迫の念(恐れの念・情動)で生理的強迫障害が生じる症状になっている場合、普段、強迫観念を起こさせないで心理・生理を落ち着けているとともに、障害をおこしそうな場面に直面したとき、一瞬たりとも怖れの想い・念を生じさせないでいることが必要です。不眠恐怖症も同様で、普段、不眠強迫観念を持たないでいるとともに、眠ろうとするとき極力一瞬たりとも恐れの想い・念を生じさせないでいるようにします。
9. いままで、'止められる′'生じさせないでいられる' と、全部完璧にできるかの如く述べてきましたが、生活の中では現実的には、雑想念はかなり止めることができても、少なからず生じてしまいます。( 座して目を閉じての実践ならともかく、日常生活のうちでは。) 全部止めることにこだわらなくて大丈夫ですし、不安や強迫の想念は極力生じさせなければ支障は起こさないでいられます。
10.念のため記します。雑想念を全部止めようとしたら、生活上必要必須なことまで考えなくなってしまうのではないかという懸念が、当然のこととして起きると思いますが、心配ないです。たとえ、全部止めても、必要必須なことは自然気づきますし、現実生活のうえでは、全部は止まらず多少は色々なこと考えます、その中で、必要なことは気づき考えています。
11. 長い間実践していると、'自然に湧く’雑想念の量も普通の人程度になり、神経質でない普通人になれます。(なにか想い巡らそう想い巡らそうという意が少なくなるということです。(同時に、想いめぐらし始めるきっかけをとろう、とろうとする意も少なくなる。(五感を通じて意にとまってくることが少なくなる、流してしまっているようになる。)))
実践法は以上です。
以下は、追記、追追記、詳記1、詳記2、付記 です。
追記 簡易な実践の方法
残念ですが、上記しましたことの理解実践は易しくはなく、特に、きっかけにおいて考えない・考え始めない、ということは易しくないようです。それで、実践がどうしても難しいという場合、次の方法をお勧めします。
「 邪魔な雑想念が出てきたら、'考えない'、'考えない'、'考えない'、・・・と頭の中で唱え、考えないことを意図する。 念が消えるないし減るまで行う。」
追追記 とにかく「考えない」こと
とにかく、考えない、ことです。’考えない’と思うだけでなく、考えないようにする(考えないことを意図する)ことです。いわば、考えるスイッチ、考えようとするスイッチを、OFFにするのです。
詳記 1 不安恐怖等の情動の不生起について
不安恐怖等のイメージ(想念)は常時即時、不安恐怖等の情動を誘発します。(不安恐怖等イメージ(想念)と不安恐怖等情動は常にセットになっています。)。
よく観察すると、不安恐怖等イメージ(想念)は、不安恐怖等情動の念(言わば'思念’)のきっかけであり、不安恐怖等情動の念、即、不安恐怖等情動生起となっています。(’ムカー’と思うとムカーとする。’怖いー’と思うと怖くなる。)
そして、不安恐怖等情動の念(思念)も雑想念同様、’考えているもの’(’考える’と同じ心作用のよるもの)ですので、
不安恐怖等情動の念も’考えない’の努力で生じさせないことができます。
ここで、不安恐怖等情動に襲われるまでの全行程を表示します。
五感触→ きっかけ意識 →不安恐怖等の想念→不安恐怖等情動の念=不安恐怖等情動
α β γ
(真っ暗)(真っ暗を意にとる)(お化けを想う) (怖いーの念) (情動に襲われ)
または
五感触した場面状況それ自体→きっかけ意識 →不安恐怖等情動の念=不安恐怖等情動
α β
(人が倒れ血が流れている)(その場面を意にとる)(キャーッの念) (恐れおののき)
本文で述べたように non α 、non β 、non γ をもって、不安恐怖等情動を起こさないことができます。
(non βが軸になることは記述のとおりです。)
詳記 2 簡易な実践方法の分解説明等
[追記の分解説明]
本文の方法「きっかけの都度’考えない’で、考え始めの摘み取り」の代わりに、ここでの方法では
「考えない、考えない・・と意図し続けること」が、「きっかけを、考え始めを、連想続けを摘ん
でいる。」ということになります。
[追追記の分解説明]
ここでの方法では、「「考えない」と意図するとき」が、「きっかけとり、考え始め、連想続けを
を止めるべきとき」とタイミングが合致する分、雑想念が生じない、のです。あるいは、「考えない」
の意図が継続している地盤のうえで、その地盤により、きっかけとり、考え始め、連想が停止される、
のです。
付記. 言葉についてですが、「神経症」は、「雑想念過多症」が、実態的かつ解しやすく、('緊張して「神経質」になった’とかいう場合でなく)神経症に連なるような性質としての「神経質」は、「雑想念過多質」が実態的かつ理解しやすいです。そしてそれはまさに、雑想念を止めることによって脱却できるのです。
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